「トキワ荘のあった街トークショー」へ行ってきました

記念碑「トキワ荘のヒーローたち」の4周年記念の「昭和30年代 トキワ荘があった街トークショー」へ行ってきました。
椎名町に行くのは去年の3周年イベント(日記)以来です。

西武池袋線椎名町駅で下車。椎名町駅の発車メロディが『怪物くん(旧)』の主題歌になっていました。改札の外にある展示スペースは藤子不二雄A先生でした。駅メロディー変更記念なのでしょうか。


忍者ハットリくん、怪物くん、笑うセールスマンプロゴルファー猿が展示されていました。


雨の中を「豊島区民ひろば富士見台」へ。

入り口にはトークショーのポスターがありました。

会場に入ると受付がありアンケートとトキワ荘年表のプリントを渡されました。

会場は広間といった感じのところで、ほぼ満席でした。地元の方7割くらいの感じでした。昭和30年代というテーマもあるのか、お年を召した方が多い印象です。

水野英子先生、とこたとくお先生、丸山昭先生の3人が紹介されてトークショー開始です。
今回は街がテーマということで、当時の椎名町の思い出が語られました。その中で何度も話題に出てきたのが「喫茶店エデン」。このあたりでエアコンがあったのがこの店だけだったということで、先生方は打ち合わせで毎日のように通われていたということです。漫画家だけではなくて編集者の方もよく利用していたとか。みんな大好きなんですね。先生方がエデンについて語るとき、凄く嬉しそうだったのが印象に残りました。水野先生の話ではオシャレな内装とインテリアの喫茶店だったそう。今は取り壊されて存在していないのが残念です。

その後はなぜトキワ荘に漫画家が集まったのか?という話題になりました。「漫画少年」と手塚治虫先生、寺田ヒロオ先生の関わりから全国の漫画家志望者がよく訪ねてきて交流が始まり、彼らが上京するときに空き部屋を紹介したことが漫画家が多く住むことになった経緯だそうです(丸山さん談)。
水野先生の話では、その頃は漫画は「悪書」であり今のように世間に認められていない時代。漫画の話はおおっぴらにできない世の中で、トキワ荘では漫画の話がいつもできて嬉しかったそうです。みんなはライバルではなくて仲間のような関係だったとのこと。同じ内容のことを我孫子先生も語っていますね。それだけトキワ荘の仲間というのは特別な存在だったのでしょうね。そんな関係が築けたというのは凄くうらやましいです。
今だとマイナーな趣味でもネットで仲間見つけられるけど、あの当時のトキワ荘的な仲間という存在とは違うんでしょうね。でも仲間を見つけて交流できるネットの力はまた違ったイノベーションもうまれるのでしょう。雑誌などの商業媒体以外の発表の場としての機能もありますし。


部屋の入り口には、当時の地図も貼られていました。

3人の先生に関連する展示もありました。

今回のトークショーを聞いて、トキワ荘の日本のマンガにおける意味を改めて実感しました。トキワ荘出身の漫画家の方たちから生の声を聞いて語りついでいって欲しいです。トキワ荘アーカイブという企画もやられているとのことなので期待しています。